出来ないコト
分からないコトは
決して恥ずかしいことではありません

恥ずかしいことは
出来ない事や分からない事を
認められないことで

出来るからエライ訳でも
分かっているから すごい訳でもなく
それは 単に 出来るか 出来ないか の
区別なだけで どちらに 優劣がある訳でも
無いと思うのです。

ある程度の大人、年齢になると
子供が、子供の未来が 輝いて見えます

それは 子供には 無限の可能性、
逆に考えると 今の時点で
子供は 何も出来ない、何も分からないからで
これから 如何(いかん) によって
アインシュタインを超えるような科学者になるかも
しれませんし
マラドーナやペレを超えるサッカー選手になるかも
しれません
独裁者になって 世界征服してしまうかも知れませんし
新たな宗教の教祖になり 世界を統一してしまうかもしれません

出来る可能性も無限大…
逆に言えば 出来ない可能性も無限大
その海千山千のところが楽しいのだと思います
ある程度の年齢に来てしまうと
自分で 出来る出来ないの 線引きをしてしまう
イエイエ ゴルフに関しては
出来る可能性も 出来ない可能性も
まだまだ 無限大にあるのです

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新たなコトや知らないことを学び、知る喜び
を たっぷりと味わえるのです

日本の教科書で
二宮尊徳(金治郎)を 夜でも、歩きながらでも
勉強するエライ人だ みたいな扱いがあると思うのですが
僕は 二宮金治郎は面白くて 仕方がなかったのだと思います
夜寝る暇も勿体無かったほど
学ぶことが楽しかったのだ と思いますし
本来 子供たちには そちらの側面を
知ってもらいたいのです

まして 本を読むことや机に座っている勉強 よりも
実際に 人と触れ 体を動かして
覚えた知恵や知識、学問は
ある意味 一生忘れないものです

どんな人と会い
どんな経験をするか
ひとつ、ひとつの事象が
その未来に 良い意味でも 悪い意味でも
波紋を投げかけ
どちらにしても 必ず影響していきます

ですから 出来ないコト 知らないことを
もっと楽しんで 
もっと「知りたい」と言う気持ちを
大切にして貰いたいのです