愛すべき人がいる
なんてステキなんだろう
あなたの肩に重い荷物があるなら
少しだけ 一緒に 持ち上げよう
「信念」とか「正義」とか
そんなムズカシイことじゃない
あなたが笑う事がこんなに
嬉しいと感じてしまうから
一キロの道のりも三歩で行くから
待っていてね  wait for me

 守るべき人がいる
 なんてスゴイことだろう
 わたしの指では まだ あなたの涙を
 止められない だけども そばにいよう
 「完全」とか「無欠」とか
 そんなハズカシイものじゃない
 あなたが望むことを どんなに
 叶えたいと感じてるかを
 一ミリの道のりを百歩で行こうとも
 信じててね  believe in me


あなたのマル わたしのマル
重なるところに 生まれる花びら
マルい世界を包んでいる

 あなたと「出来ること」を探そう
 たとえば 転ぶことがあっても
 一ミリの連続でもいい
 全力で世界を動かそう

あなたの笑うことがこんなに
嬉しいと感じてしまうから
一キロの道のりも三歩で行くから
待っていてね  wait for me



http://www.youtube.com/watch?v=ed77keAL404&feature=related


 これは 僕の敬愛する 尾崎亜美さん 作詞作曲の
 「待っていてね」 と言う曲だ(ちなみに ↑ で歌っています!)

 ファンであるとか ファンになってくれ とかそういう意味で載せた訳ではない


曲の内容をみると 一見 軽い恋愛の曲に見える
そう思っていると 何て事は無い歌である(でも 聴いてみてね

 たしかに 表面上のメッセージには
人を愛する気持ちが表れている よくある軽い恋愛の曲に見える… 

 しかし この歌の隠されたメッセージには

 さりげなく  「介護」 をする人へのエールが隠されている

 それを理解して もう一度読むと
      意味合いも 言葉の深さも全然違う。  

 
 殆んどの人が 自分の見たい事 知りたい事 が最優先
最優先なのは良い…  でも それで 終わり…
相手が何を伝えたいのか 伝えようとしているのか は一切考えようとしない


写真を載せ始めた頃に
 記事の内容とまったく違う事を突っ込んできたコメントが入った
  記事の内容は  ダウンで腕は動かさない だったと思う
   そうだったのに コメントは 「写真の頭は残っている」である

 自分の悩んでいる事や 知りたい事自体を
  質問をすることや コメントをすること は
   大変良いことである  歓迎である  みんなの為になる

 でも 相手を考え 思いやり 自分の言動がどんな影響を持っているか
まず はじめに 考えて見る必要もある

写真の掲載をお願いした人には
 今回は ☆ダウンで腕を動かない そこを強調して貰った

 その人は そこを「絵」に残す為に それ以外の事は棚に上げる 当然だ

それを 棚に上げた方を 自分が知りたい から と言って つつくような行為
 質問することそのものは全く悪くない
  しかし もう少し 頭を使って欲しい
   全体を考え 相手の事 そういうモノを踏まえた上で…
    その画像を提供した人はなんて思うだろう  それは考えないのか?

僕は 何度も 視覚情報と脳内イメージは異なる
 多分 もう10年近く そう書き続けている と思う
  それを 読んでいないのか…   読む気がないのか…




 上の歌詞を あ〜ただの恋の歌か…

と聞いていたり 読んでいる のと

 介護の事を歌っているのか  と思って聞いているのでは

伝わる事 感じることも 大きく異なる


  多分 いつも 自分が 自分が 自分が と思っている人には
写真を使っている動きや技術を解いた記事は興味があるのだろうけれど
今回のような お説教のような記事には興味がなく 読み飛ばしてしまうのだろう

 そういう人にとっては 今回のような記事は 面白くないだろう

   自分の 知りたい事 見たい事の 反対だから…

 また そういう人にとっては 今回のような記事は ムズカシイ 感じがする筈
内容も面白くないし 多分この記事は記憶に残らないだろう…
また そういう人は こう言うお小言を喰らうと
 単に 発言したり 行動すること そのモノを控えてしまう
  失敗することや お小言を喰らう事を避けてしまう
   よく分らない難しい事は避けてしまい 参加することを避けてしまう

こうするとどうなるんだろう
 こうして置けば いずれこうなっていく

集団の中の個人 個人に対する集団や社会
 社会がこうなって行けば 当然 一個人にも影響を与える
  しかし 個人が行動すれば それも 時間は掛かるが社会にも影響を与える
   互いが密接に影響し合っている


何人かのお客様に忠告/お叱りを受けている…
 教え過ぎ 細かく書き過ぎ だと。 これでは覚えても 育たない と。
 教えることは 与えることではない
  教育することは 知識を与えることではない
   口を開けたひな鳥のように してしまうと
    結局 子供は「正しく」育たない
     ただ 体が大きくなるだけ  だと。

その通りだと思う
 先生の立場は 生徒に 自分で考え 自分で行動し 自分で責任を取る
  人間としての行動を覚える 「環境」を提供することで
   知識としての学問を一方的に与えることではない



 正しいスウィング 正しいクラブ扱い…
クラブはこう動かす 体をこう動かす
それを 頭で考える      頭を使え とはそれを指しているのではない。
それ以前の問題だ…。   分るかなぁ…。



 一言言っておく 
今回の記事を読み飛ばしてしまうような人は 僕は相手にするつもりは一切無い



   コ メ ン ト 待 っ て る よ



 
このような記事を書くと

 多分 コメントは来ない  メールも来ない


スウィングの技術論 を書くと たくさん来る



でも 僕は このような記事での

 コメントで その人の理解度や成熟度を見ているんだ



 出来るようになれば 分るんだけど

  会話やコメントで その人のゴルフの是非は見えてしまう

   出来る様になる人は その会話やコメントの中身がどんどん変わってくる




 救えない人の代表は
  このような記事によって
   実は 叱られたくないから言動やコメントを控えてしまう

    失敗しない為に行動をしない人  なんだ




 今回の件で 叱られた人
  実は 自分にとって ピンチ と感じてしまうだろうけれど
   本当は これは チャンス なんだ
    
 自分が 正しい方向に変わっていける大きなチャンスなんだ

 その 失敗を繰り返して  人間は 正しく育っていくんだよ