一年間、色々とお世話になりました。
オーダーメイド… それもちょっと特殊?な
ゴルフクラブを扱うお客様方だけでなく
今年は、震災の関係で大勢の方の
お世話になったかと思います。
本当に有難うございました。
弊社のクラブを例に取りますと
全ての事象には 不可抗力 というのが
必ずは働きます。
読んで字の如しでありますが
あがなうことの出来ないチカラ
というコトです。
自分の言動や生き方、ゴルフであれば
クラブや体が作り出す重さ、負荷、抵抗、
「人生のシナリオの半分は他人が書く」
とも言われています。
重力であったり、遠心力であったり
張力や外力であったり・・・
不可抗力には時間の流れと方向 が
必ず伴う訳で
それらが 自分の望んでいる行動やスウィング
などを 邪魔したり 誘導したりする訳です。
それに逆らうように、労力や筋力などの
力で対抗するのではなく
対抗しなくても良い不可抗力を生み出す
そんな環境創りや正しい動き
望ましい方向へと誘ってくれる
嬉しい不可抗力を造る環境創り
そんなことに 皆さんがすこし
少しだけ 『考え方のベクトル』を
変えてくれると良いかな と思います。
(勿論 私もですが…)
皆様にとって
2012年が幸多き一年になりまよう…
有難うございました。
来年もよろしくお願い致します。
ハミングバードスポルテ 店主
2011年12月
ニャンだー大作戦 準備中…
震災支援/番外編 by S&E
いやいや な〜んか今思い起こすと
まるで夢の出来事のなかで暮らしたような1年でありました
呑気にテレビを付けて
お客さんとゴルフの話に花咲いていた ごくありふれた日常に
とんでもないCG作りやがったな
これなんて映画のプロモーション?
なんて ホントにしばらくの間そう思っておりました
だってそうでしょ
あの映像が現実のものなんて とてもじゃないけど 信じられない
でしょ
それが現実のものだとわかったのはしばらく後で
その時のショックは 同時多発テロ どころの話じゃなかった
あれはあれで 衝撃を受けたけども
これが自国 日本の光景?!とはなかなか信じられなかった…
それが2011年3月11日
なにかしなきゃ みたいな思いはあるのだけれど
なにをどうしていいものなのかもわからず 右往左往しているところ
ある一本の電話から すべては動き始めました
いや実はこれまで ボランティア というものには
全くと言っていいほど興味はありませんでした
ソレガナンデコンナコトニ…
物資を集め それを送り 必要なところに届くといいなぁ〜
なんて 満足した心地でいたはずなのに…
ナンデオレハセンダイニイルノ?
それですぐ帰国じゃなかった帰郷したのもかかわらず
アレ?トクシマニイタノハキノセイダッタノカ?
そうそう 気のせい 錯覚 まぼろし
そんな自問自答の中
クルマデノロジョウセイカツガハジマッタ…
その間の出来事は今回のシリーズでまとめられておりますので
そちらで どうぞ!
携わってくれた みなさまのおかげで
事故なく トラブルなく ミッションをこなすことが出来ました
どうも ありがとう!
そして お店をほったらかしにした間
切り盛りしてくれた ミスターTさま
そこに追い打ちをかけるように
真夏にエアコンなしのミッション車
それも軽トラを持ってこさせたその罪はなんで償いましょう?
価値の無い 軽い頭ですみませんが ホントに頭があがりません
ビザギレニヨルキョウセイソウカン
その大役をだまって担ってくれた彼
感謝です!
今回のシリーズ その抜かりなくまとめられたその記事に
なにも言うことはありません
な〜んて 人間の出来た思考は残念ながら持ってないんで
すらずらと書いてみたんですけど
ほんの少し残っている脳みそで読み返すと
トテモヨメタモノデハアリマセン
良い子が真似しちゃうと困りますから ここはあえて 自重 しておきます
とてもじゃないですけど 公共の情報にのせるべきものではありません
ということで お蔵入り ボツ原稿としてそっとしまっておきます
その中には この年では感じることが少なくなった
喜怒哀楽 がすべて詰まってる(本来すばらしい)ものなんですけど
なにせ ねじがゆるむどころじゃなくて
完全に外れた状態でのチーム行動ですから 性質が悪いの何の…
その行動の陰にはいつも…ダメダメ ホントそれこそ訴えられちゃうよ!
でもま その中でひとつだけ これはいいかな〜というのを少し
物資搬入が活動の中心だったこの頃
人に手渡すものなんだから 身を持って性能を確かめておく必要がある
なんか「カッコいいセリフ」ですよね
なるほど 人として 技術者として さすが 言うことが違う!
な〜んて感心してた こっちがバカでしたよ
その中のひとつ 電動アシスト付き自転車
これはホントに威力を発揮したものでした
被災地の足となっている公共機関の乗り物が完全にダウンしてしまっている状況
プラス 路面状況の悪さ からしてバイクでは危険
そんな環境にマッチした すぐれもの でした
その切り替えによって 坂路でも難なくこなせる機能もアリ
あれ 何台運んだんでしょう?
途中からはもうわからなくなるほどでしたから
でもですよ
誰ですか?
1回の充電でどこまで走行できるのか?なんて言いだしたのは
誰ですか?
それをあえて 坂 路 ば か り の ところで閃いたのは
誰ですか?
それも雨上がりの暗闇になってから決行したのは
ちなみに
ソレハイイダシッペガセキニンヲモツモノデハナイデスカ?
すると すかさず
その実験対象は 電動自転車 であって アナタの意思は関係ない!
ときたもんだ
いや 実験は破壊ポイントが重要だから
なんて楽しそうに言われてもね
でも その破壊って どう考えても物質が対象でしょ
なのに その笑みは 間違いなく人間に対してだよね
ホントニヤルキデスカ…
ここは牡鹿半島のど真ん中ですよ
その名の通り 鹿の住む場所なんですよ
鹿は 平地 には確かいませんよね
平らなところで住んでいるシカは 奈良公園 ぐらいのもんですよ
よし! じゃあ行ってみよう!
って あの〜人の話聞いてます?
よしって何?じゃあってどういうこと?
やりますよ やりゃあいいんでしょ!
ん?嫌なら別にいいよ
(なんで そんな言い方なの〜〜〜〜ちょっと甘えてみただけじゃん)
すみません 喜んでやらせて頂きます!
ま その実験は 予想よりはるかに短い時間できりあげることになったんですけど
(当然だ!)
救出された車内での ひとコマ
よくホントにやったよね〜感心するよ!
だと
あぁ やっぱりこの人は超越した存在だ…
そう改めて知ることになった夜でした
東日本大震災 by S&E
2011年は日本にとって
最大級の激動の年であったと思います
去る3月11日の大地震によって引き起こされた
大津波による被害は甚大なものとなりました
これほど人々の生活を揺るがすこと
となってしまった東日本大震災
微力ながらではありますが
支援活動に携わることになった際
多くの方にご協力を頂き 助けられたことに対しまして
この場を借りて お礼と感謝を申し上げます
本当にありがとうございました
しかしながら まだ多くの問題が
取り残されたままです
個人の力はたかだかしれたものですけれども
その中でも何か出来る事
そして やらなければならないこと
を模索しながら 携わっております
その方法や内容はそれぞれ違うと思います
といいますか 違わなければおかしいと
言うべきかもしれませんが
出来ることは もう何もない
というのはちょっと違うと思っています
大きな事をする それもひとつですけれども
大は小の集まり ですから
その僅かのことであても
ひとつのことは出来ます
しかしながら その時を逃してしまわないために
思い出したくないというのが 人間の性ではありますが
決して忘れてはならない事
それが今回の震災であると思います
震災によって命を落とされた方々に
ご冥福をお祈りいたします
また 被害を負われた方々につきましては
心よりお見舞い申し上げます
繰り返しになりますが
決して忘れてはならないですけども
いつまでも悲しんでばかりもいられません
せっかく救われたのですから
前を向いて生活の立て直しに進んで頂きたく思います
しかし その過程は想像も
つかないようなことの連続でしょう
時には挫けそうになることもあると思います
表現があっているかどうかは申し訳ありませんが
わかりませんけども
そんな時は 一休み
また ちょっと後退してみるのもいいかと思うんです
歌詞にもあるように 3歩進んで2歩下がる
これでも結果的に 1歩 前進です
我々直接被害が無かった地域の者だからこそ言える
甘えたこと なのかもしれません
そう言われたとしても 確かにその通りです
残念ながら 身代りになってあげられることも出来ません
しかし裏を返せば
だからこそ できること がありますし
それが必要になる時が必ず来ます
しかし それそのものが 何なのか
は各自が決めることであって
強制するものではないと思っています
ピンチに陥った時こそ 最大のチャンスである
言葉は悪いかもしれませんが
起こってしまった現実は取り換えすることも
巻き戻すことも出来ません
であれば その現実を如何にして
今後のために結び付けていくかが重要で
起こってしまった結果に対する事実確認は
大切なことには違いありませんが
その事が未来のためというよりは
俗に言う 犯人探しが目的になってしまうと
意味が無いとは言いませんが
とかく歪んだものになりがちです
そうではなくて その検証から出た
内容の失敗は失敗として受け止め
そこから じゃあどうするべきだったのかを検討する
そういう姿勢にならないと
次に進まないように感じます
情報は活用出来てきてこそ役に立つもの
ですから それぞれに自己判断する これが重要で
このことは すぐにでも
勿論現地に行かなくても出来ることが多くあります
情報化社会というだけあって
その量は膨大な数に及びます
流行りの 繋がっている という言葉
確かに パソコンの前にいると 全世界と繋がっている
かのように錯覚しがちですけども
その結果だけを見ていると
あまり好ましくないように感じるのは
判断する という行為が抜けてしまっている
からなのではと考えています
それは 良いとか悪いとか
合ってるとか間違ってるとか
そんなのは また別な話で
なにか 判断するという行為
からわざと自分を遠ざけているように思えるのです
これは 私個人の考えであり意見です
失敗からしか本当の学びは無い そう思っています
ですから 今回の震災対策も 誤解を恐れずに言うと
失敗してもいい状況だったにもかかわらず
引き延ばしによる時間のロスばかりが目に付きました
そう単純な問題ではないことは
重々承知しているつもりではありますが
出てくるコメントは 「想定外」と「未曾有」
だったら 対策もそれに沿っても
よかったのではなかったでしょうか
なにか大胆な対策を打って出ても
よかったのではないでしょうか
たとえそれが不発に終わっても
次の対策を講じればいいわけで
なぜか対策だけ「規定内」
で収めようとするがあまり
後手後手に回ることになってしまい
結局同じことをしても
効果としては半減
いやそれ以下のものになってしまったように思います
こう言うと 政府が悪い 自治体が悪い
そうなってしまいがちですけど
そうなるように仕向けた
してしまった根本は一個人です
やりたくても やらせてもらえない
これは現場にいて ものすごく感じた点です
がんじがらめに縛られたモノによって
動かせてもらえないもどかしさは
ある意味 関係者ほど痛感したことだと思います
そういう意味では 我々の存在というものは
少しは役に立ったのかなとも思いますが
単にしてくれない ではなく
やりたくてもすることが出来ない現実(しがらみ)
その事をもう一度それぞれに思い返す
それだけでも 価値は十分あると思います
そして その役目は 直接被害の無かったものの
役目だと考えます
なんだか取りとめのない
偉そうな内容になってしまった事をお詫びいたします
最後になってしまいましたが
被災地の一日でも早い復興を祈願しています
牡鹿のれん街 年末年始の営業 (転載)
☆おしかのれん街☆年末年始の営業☆
... A棟
●プチショップぬまくら 12月31日〜1月3日 休み
●南国フルーツ 12月31日〜1月5日 休み
●東洋館 1月1日 休み
●マルニ鮮魚店 1月1日〜1月2日 休み
●遠藤電気 12月30日〜1月3日 休み
●大影美容室 1月1日〜1月3日 休み
●千ヶ松商店 12月29日〜1月4日 休み
●観光協会牡鹿事務所 12月29日〜1月5日 休み
B棟
●上海楼 年末年始休まず営業
●黄金寿司 1月1日〜1月3日 休み
●旬味旬魚いしもり 12月30日〜1月4日 休み
●金華干物 現在休業・年末年始休まず営業
●カクト商店 年末年始休まず営業
●おしか工房 年末年始休まず営業
●みさき屋 年末年始休まず営業
●cafe restraunt BeeFor 現在休業・年末年始休まず営業
今回も、情報は観光協会牡鹿事務所の
Facebookページよりいただきました
東日本大震災 〜支援を振り返って まとめ
本当に色々な事が有りました。
そして、本当に色々な事を勉強させられたと思います。
一番強く実感するのは 日本人の現場力 というか
人間力というのは まだまだ素晴らしいモノだ というコト。
道路などのインフラもあっという間に復旧し
震災より10日ほどで 仮設とは言え 多くの地域にはいれる
ようになりました。
日を追う毎に 電柱が立ち 電気が流れ
水道が届き 宅急便が届くようになる・・・
日頃 当たり前のように感じていた 日本のインフラ
この仕組みを改めて ありがたい と痛感したモノです。
物に満ち溢れた普段の暮らしの中で
何が本当に必要なのか、何を大切にするべきなのか
日々、考えさせられたものです。
また、今回はこのような非常時に不慣れな政権であった為
地方行政も含め 政治の事にも関心を持つようになりました。
防潮堤なども含め、非常時に有益なモノは
通常時はある種、無用の長物化してしまいがちですが
決して そうでは無く やはり 備えあれば憂いなし。
物だけでなく、人にも同じような考えを持つようになりました
現場では 少々複雑な取り組みをしておりましたので
自治体の方などや災害本部などの方々とも
多くの打ち合わせをしました。
多くの方が非常に柔軟に 被災地や日本の将来について
考えられており、大変勉強になったモノです。
普段では 批判の矢面に立つ 現地の自治体の方々の
頑張りは 仕事を超えた何か でした。
それぞれ ご自身も被災者であるにもかかわらず
「無私の精神」で頑張っておられたのを目にし
非常に敬服致しました。
現地の被災者の方々も 非常に暖かく 前を見ている
その姿に 励ましに行った筈の我々が救われたモノです。
また 日本全国から集まってくるボランティアの方々の
その気持ちにも揺れ動されるモノもありました。
軽自動車を京都や滋賀から自ら運転し、届けてくれた方々
もいらっしゃいます。
日帰りツアーで 大阪から炊き出しに来られた方もおります。
私個人は 日本全国の支援者の皆様の気持ちによって
そっと背中を押され 見守られているような
暖かい気持ちで活動出来たコトを 感謝しております。
この活動を通しまして ヒトの心 と言うモノを
改めて 考えさせられ、 我々の生活や国 と言うモノを
もう一度 見つめ 考えさせられました。
これからも、W支援などを通しまして
出来る限り 長く、細々ではありますが 被災地の為
日本の為に 何かしら 考えて 応援して参りますので
是非とも ご支援賜りますよう よろしくお願い致します。
本当に有難うございました。
ハミングバード 店主 野澤 亨
◆ お知らせ ◆
いつも 有難うございます
本年(平成23年)のお店の営業は
12月30日(金)午後6時 まで
来年(平成24年)の営業開始は
1月5日(木)午前10時 より
とさせて頂きます。
ハミングバードスポルテ
牡鹿半島支援サイトより(転載)
○金華山の年始の参拝について
石巻観光協会牡鹿事務所より、
金華山の年始の参拝についての案内が出ました
金華山を始めとする地元の皆さん、
フェリー会社のみなさん、そしてボランティア
のみなさんの協力により、年始の参拝が可能となりました
観光協会からのご案内はこちらのFacebookページをご覧下さい
http://ja-jp.facebook.com/pages/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%8D%94%E4%BC%9A%E7%89%A1%E9%B9%BF%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80/263379410380161#!/pages/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%8D%94%E4%BC%9A%E7%89%A1%E9%B9%BF%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80/263379410380161
※予約無しの参拝も可能となっているようですが、
事前に上記サイトよりお問合わせ下さい
いろいろと特別な対応となっています
事前に上記サイトやページのご案内をご覧になって、
現地に向かわれるよう
ご協力をお願いいたします
○おしかのれん街 みさき屋さんのご紹介
お店を開いていらっしゃいます
このボリュームで、950円です
鮎川港の金華山行き船乗り場の近くでお店を
開いていらっしゃいました。そのため、
これまでも三が日は、初詣客のため
に昼間だけはお店を開いていたそうです
いまは仮設店舗での営業ですが、
食事だけでなく、お弁当も取り扱っていま
す。写真の海鮮丼の他に、うどん、そば、
定食もあります。ボランティア活動
等で鮎川浜まで行かれた際はぜひご利用下さい
○十八成浜について
来年も、5月の始めに夏祭りを開催される予定だそうです
「来年は今年よりも盛大にやるっ!」
と地元の方が力強くおっしゃっていました
情報が入り次第、こちらでまた、ご紹介させていただきます
その他、地区再生のお話もいろいろと進められている、
とのことでした
東日本大震災 〜支援を振り返って 10
驚かれることが多いようです。

我々で行く場合、ミーティングなんてものを
したことは殆ど有りません。
出発前の時点で、ある程度いい加減でない情報は
勿論、仕入れては行きますが、 何かこういう手順で
こういうスケジュールで動こう みたいなことは
一度もやったことが無かったかと思います。

週に1.2度 現地を訪れる場合、
現地で行うミッションは 多岐に渡ります。
車が2台で行けば、現地では当然分かれての行動です。
それも途中で 荷を入れ替えたり
メンバーを入れ替えたり ミッションに応じて
かなり スクランブルに動きます。
石巻の民生委員さんの家や侍浜に
倉庫を持っていたので かなりピストン輸送を
繰り返していたと思います。

徹夜で行動していることもあって
慣れていない人には 混乱してしまう訳ですが
なぜか 数度行くと そのパターンに慣れてしまいます。

あれをこっちに動かして ボランティアセンターに
これを持って行って、その代わりに何かを持ってくる
もう一台は ココにお届けして、別なモノをあそこに
取りに行き、一旦合流し 荷物を入れ替え
また 別なパターンで動いたりします。
そこら辺の動きに関しては あっという間に
プロ集団のようになってしまったかと思います。

また これが面白いモノで 慣れてくると
走行距離やミッションとあまり関係なく
別々な行動する車の合流は かなり揃います。

炊き出しをする場合であっても
炊き出し部隊と配布部隊、物資お届け部隊と
別れますので 例えば 音頭を取っている私を
現地で捕まえるのは非常に難しく
元々 落ち着きのない私は終始 どこかに行って
仕舞います。 合流することになっていた
別のボランティアチームは 共同作業は
問題なく出来たとしても 最後まで
私には会えず と言うのも少なくなかったかと
思います。


現地でも ハミングバード と言う名前は知っていても
私と直に逢ったことのある人は 非常に少なく
実は存在していないのでは とまで言われました。

ま でも 現地へ行きますと やはり 現地人である
河崎氏は 一味違います。
すでに 牡鹿半島内の 多くの地域で
顔見知りになっていましたから
現地の 足りないモノや 余っているモノの
御用聞きみたいな使われ方もされていたようです。
彼の現地での滞在日数は一度行けば 2週間程度
毎日、倉庫に届く支援物資を必要に応じて
より分け 整理し 配達する日課の中です。
誰よりも 被災者の要望を知る一人
だったのだと思います。
こちらから手配する多くのボランティア団体の
調整役になり あちらへ行き コチラへ行き
今 考えると なんと凄い事だろう と思いますね。

地図を殆ど把握しており、どの地域へ行くにも
かならず 一度以上 下見をしていますので
地元ピープル並みの 抜け道を知っており
後々の 「被災地見学ツアー」では 大変
活躍する訳です。

彼がいなければ 我々の活動は ここまで
円滑に動かなかったと思います。
私は 現地では あまり役に立ちませんので…
東日本大震災 〜支援を振り返って 9
時季がいつなのか、頭で混乱しているのですが
車いす 電動介護ベットを提供したことも
有ったかと思います。
幾つかの被災地の自治体を通し
津波で流されてしまったり、浸水してしまった
電動ベットの補充をしました。
ママ'ズ ハートさんの尽力で 埼玉地域の
ロータリークラブ(だったと記憶していますが)から
多大な援助を頂いたかと思います。
なんだか 思い出してみると
色んなことをしていたんだなぁ〜 と思います。
でも 終始 有難いと言う気持ちと同時に
少々 不思議に感じていたのは
弊社は 単なるゴルフショップです。
しかも 知名度が高い訳でも、チェーン店でも
ありません。 当初はお客様だけにお願いしていたのが
段々と お客様以外の方からの援助が増え始めます。
出来るだけ 毎日 日に数度
記事としての情報を提供してはおりましたが
なぜ この見ず知らずの素性不明の我々を
こんなにも援助してくれるのか
不思議に思ったモノです。
大変だね ありがとう と言われるのですが
正直 ナンノ能力も無いので 運び屋になっている訳で
その物資も資金も自分の作り出したものでは
ありません。 皆様からの援助です。
その気持ちを現地に運んでいるに過ぎなかったのです。
大きなトラブルも事故もなかったのも
やはり 皆様の支えではないかと 今も思っています。
ある程度の時間が経ってくると
現地で ボランティア同士での トラブルも耳にします。
それすら 殆ど 我々には有りませんでした。
まぁ ちょっと高齢な集団であるのも 理由だとは
思いますが、このような活動をすると
ちょっとした勘違いが生まれがちです。
誰が持って来たか とか
何の為持って来たか とか で
支援者と被災者間でもトラブルがあると聞きます。
初めて 支援を手伝ってくれる方に
こう お話をします。
目的は 被災者の生活の役に立つこと と
圏外の人達の気持ちを届けるコト だから
誰が持って来たか なんで どうでも良いんです。
一番始めの 誰かの役に立てることを
貫いて下さい。 誰かにお礼を言われることを
望んではいけません。 お渡しする時の
被災者の心理状態や環境は我々には
窺い知れません。 不謹慎な例ですが
誰か知り合いの葬儀の後かも知れません。
気持ちを届けているのですから 十分な
モノではなく 気持ちの配慮は必要ですよ、と。
また 援助して頂いた皆様には申し訳ないのですが
コチラからお渡しする物資は
原則論として 差し上げたいから 持ってきたいから
持って来たのであって
例えば ですが 個人宅避難者の家の前に
勝手に置いてきた と同じで
それを どのようにするかは 我々は一切関知しません。
諸所の事情により それをお金に替える方も
いらっしゃるかも知れません。
その事情は 我々は持って帰ってはいけません、と。
ですから お礼をされて当たり前 と思っているのなら
持って行ってはいけません と。
また このような支援活動をしていると
実は一番難しいのは 終わり方 だと思います。
我々の 支援する最終のゴールは
この支援が不必要になるコト です。
とかく有りがちなのは
支援を続けて行くための支援や
支援団体を維持するための支援 です。
勿論 必要とされ 出来るうちは良いと思います。
しかし、本来の目的とずれ始めると
被災者とも 後援者とも トラブルになりがちです。
その部分が 皆無といって良い程
無かった点 非常に上手に遂行できたのかな
とも 手前味噌ですが 思っていたりもします。
お客様の多くの方から 使途不明で構わない
と言う援助をたくさん頂きました。
活動の為に何に使っても良いよ と言われ
額に関わらず、正直にものすごく助かりました。
長い時間 無収入でしたから…
本当に 有難うございます。
そんな こんな 皆さんの 被災者や国を想う
そんな気持ちに支えられてきたのです。
東日本大震災 〜支援を振り返って 番外編
その当時であれば ちょっと不謹慎だったのですが
今だと 言える いくつかのエピソードや悪戯を
ご紹介いたします…
日付は覚えていません。
早稲田大学の教授の紹介で学生さん達と
炊き出しをした時のコトです。
当日は雨でした。
いつもの イリニ水産さんの干物をもって
ゲリラ炊き出しに行こうと思っていたが
あいにくの雨。
いつもの軽トラックにBBQ台を乗せ
車の上で炊き出しをしました。
トラックの荷台が火焼け するのを恐れ
段ボールを引いていますが
炊き出し中 引火! 危なかったぁ・・・
また その時 車の鍵を持って
帰ってしまい 独りが立ち往生
現地でコーヒーをご馳走になっていたそうで…
始めのコロ 路上生活者であった河崎氏の
初めての滞在地は 女川原発の駐車場であったり…
幾つかのテレビ取材を テレビに出るのを極端に
嫌う 某誰かが逃げ回っていたり。。。
横浜ナンバーに乗った 徳島居住の妖しい男は
かなりの頻度で職務質問を受けていたとか いないとか
現地に出発する直前、車の不具合が見つかり
急遽 一台 車が減ったり…。
色んなプランやスケジュールは 殆ど
全て 打ち合わせも何もせず 私が独りで 独断で
決めていましたが、ホントに大きな問題も起こらず
スケジュール的にも段取り的にも
だいたいの事が上手く行っていたと思います。
ま、それも これも その時点で既に現地人と化していた
河崎氏の事前調査のお蔭で
彼も、私も 3日程度であれば 風呂に入らないコトは
日常となっていたような気がします。
今考えると 現地に向かった支援協力者の年齢層は
決して低くなく 当時39歳の彼が一番若年で
よく 徹夜の強硬スケジュールを続けていたと思います。
また 私はあまり睡眠を取るのが上手でなく
私が車の中で寝てしまうと 周りの人が
心配していたのを憶えています。
ガソリン輸送も 始めのうちは緊張していました。
延べ延べでは 2500リッター以上のガソリン
800リッターの経由 750リッターの重油を運びました。
余談ですが
有る公的機関より依頼を受け、某所に私一人で
A重油を運んだんですが、運び先がものすごく重たい話の
重たい場所で 帰りはものすごく暗い気分になりました。
東日本大震災 〜支援を振り返って 8
各地で多くのボランティアが入り始めます。

幾つかの場所で 千吉良さんチームのお手伝いをしたり
物資を届けたり、そんな中 出来るだけ 普通の
ボランティアさん達の行わない方法を探し始めます。

幾つかの 障害者施設や学校に 電動アシスト付
を お届けしたり、 運動会の支援も皆さんに
お願いしましたね。

気仙沼支援学校、陸前高田、石巻・・・

なんだか この運動会も 時の悪戯のように
偶然のような連続が続いたり
非常に短い日数の中で 多くの方の協力に
支えられました。 本当に感謝します。

出来るだけ 多くの人に 被災地を見て貰いたい と
思い 小規模なバスツアーみたいなモノを企画します。
数回行ったかと思います。

あまり 負担を掛けない程度に 活動して貰い
この現状を見て貰い 語り継いで貰うことは
長い意味での 大きな支援、応援になると思いました

特に、女性の参加が多かったですね。
皆さん お元気ですか
色々 有難うございました。
大島に電動アシストを提供したり…

ミニミニ 食事会を開いたり

石巻 石ノ森美術館をお手伝いしたり
いしのまきの街づくりまんぼうに厨房機材を届けたり

厨房器具の解体 搬出はちょっと大変でした…
珍しく 自分で行ったので…

小雨降る中での 石巻の搬入でした…

石巻駅前の商店街
新たに出来る 石巻物産ビル の中での
活躍と聞いています

その頃には 岩手県にも入るようになり
かなり広範囲に移動しており
一度の 来訪で 1600キロ走ることも
道もだいぶ覚えたし どんどん道も改善されて
いました。


暖助もあちらこちらに お願いしました。
親方 ありがとう。

W支援も順調に活動し 備蓄用の大島のお米に
協力したり、その資金で炊き出し用の干物を
調達したり 運動会のお菓子セットも・・・
本当に有難うございます。

W支援につきましては
どこかで 年間を含めた 収支報告致します。
東日本大震災 〜支援を振り返って 7
う〜ん どんな経緯でそこに辿り着いたか
よく覚えていないのですが
多分 弊社の経営企画室長 の某氏の友人
赤鶴の社長から 大島の話は始まったような…
また、同時に河崎氏の広範囲にわたる
現地の事前調査などの延長線上で
気仙沼の離島 大島を訪れ 物資の配布会と
並行して 大掛かりな炊きだしを行うことが
決まります。 6月初頭だったと思います。
離島であるが故に 色々と内地と異なり
諸所の苦労も有ったかと思います。
ひょうたん型の島は いったん
津波で二つに分かれてしまったと聞きます。
気仙沼湾の火災によって
島内にあるロープウェーを伝わって
山の上が火事になってしまう程…
お祭りのような イベントで
少々息抜きがして頂きたい のと
初めての 物資の配布会ですので
本会場の混乱を緩和するコトを目的としました。
千吉良チームもフライヤーやお面などを
持ち込んで お手伝いしてくれました。
いつも いつも 有難うございます。
物資の呼びかけをするにも あまり時間が
無かったような気がします。
物資の配布会ですので、全島の人が訪れる予定が
あるので 相当な人数になります。
実は 今だから言える話なのですが
私だけは事前に正確な人数を知らされていました。
しかし その人数を発表してしまうと
あきらめが先に出てしまうような予感がして
集まりそうな 無理そうな 微妙な人数を
皆さんに告げた記憶があります。800人?
本当は 2000人分用意して欲しい と
言われていたと思います。
そして 結果予想を上回る食材が集まり
焼きそば 1650食 干物800枚
焼肉 80人分 その他諸々等 用意できたと思います。
ご協力 誠にありがとうございました。
さぁ いよいよ 本番。
そして 協力者も呼びかけますが
勿論 個人での呼びかけに対し
最大の人数は 集まったとは思います。
…しかし 何せ相手は2000人です
結果としては 1600人程度でしたが
事前に知らせるのは まずそう〜〜 ってことで
現地でコトが終わるまでは 私は知らぬフリを
しておりました。 ゴメンナサイ。
朝8時位より始まり 16時近くまで
現地は殆ど 怒涛の状態。。。
いったい 何百個の綿菓子
8時間 廻り続けた BBQ台
鉄板は 2枚 割れてしまい
本体も相当 歪みましたね
頑張りました。
すべて 現地への物資として置いてきました。
まるで 大道芸人のような動きで
焼きそばを作り続ける 職人兄弟
焼く 作る こねる 焼く 盛り付ける・・・
いったい 何百皿の焼きそば
を作ったのでしょうか
焼きそばの材料を造るのに 数時間
キャベツ等食材を切り続けた方
独りで 20数人の髪の毛を切ったカミサマ
暖助くんも 焼肉台として活躍・・・
私は何をしていたか・・・(本邦初公開)
いつも通り ウロウロ しただけかな?
ラグフェア の おっくん のさわやかスマイル
ナント現地で ミニミニ生ライブもありました!
一日中 人 人 人 …
9時から始めるつもりが 準備を始めた
朝7時半ごろから なんとなく始まって仕舞い…
終わった時間は よく覚えていません。
多分 こうなることを知っていたのは
私 独りだけで 手伝ってくれた方が
事前に知っていたら… ぞっとします。
ちょっと 参加を躊躇してしまうかも…
と言う程 凄まじい一日 だったと思います。
終わった後の この疲れ具合…
抜け殻のようになっていたかと思います。
みなさん アリガトウ。
今考えると よく無事で帰れました。
合言葉は
家に辿り着くまでが支援活動!
成功したか?!
この笑顔をご覧ください!
東日本大震災 〜支援を振り返って 6
その頃から いくつかの事を考え始めました。
一つは 原発の問題で深刻な問題となっている
福島の農業をサポートする意味で
募金を集め、そのお金で福島の野菜などを
購入し、公的な避難所 被災地個人宅など
被災地へ届けるコト…。
そして もう少し時間が経てば
上手に支援をしていかないと
被災地の民業を圧迫 することに
なり兼ねない。そんな配慮も必要だと
考えました。
同じ支援するのでも 出来るだけ
有効に 利用できるよう考えました。
物資を調達するのであっても
出来るだけ 被災地での購入を考える。
この考え方は 後々
炬燵大作戦や時計、伝言板などで
応用されていきます。
W支援
此れには 色々とハードルがあり
想っている以上に 時間が掛かってしまったが
JA郡山さんの協力を得て 今も 細々と稼働中。
野菜 以外にも W支援と言う名の元で
被災地へのW支援を続行中。
是非 ご協力を!
□W支援【お振り込み先】
【お問合せ先】
http://twitter.com/HummingBirdSP
牡鹿半島方面支援サイト
ojika.future@gmail.com
この頃より ネットなどを通して
サポートチームが出来始めて
人間の輪 というか 絆 というのを
再認識しました。
お願いタイガー など ネットを通しての
支援活動の仕組みが出来たと思います。
災害時などの ネット活用 というのも
新たな支援活動の一部になった訳です。

二つ目は 支援活動の変化や延長線上で
現地の支援する人を支援する、そして
現地のコミュニティーの再構築 です。
圏外からの支援者は 勿論
有難い存在ではありますが
地元に根を据えて行動している訳では
ありません。 いつか去ることになる。
地元の人達の連携や繋がりが
被災地の復興・復旧には
そして 新たな町興しには
大変重要と考えます。
交通網の寸断されている
現地で 電動アシスト付自転車を
民生委員さんに届けて、それで在宅避難者の状況や
物資の配布を依頼するコト。
ハミングバードのお家芸とも言えた
電動アシスト付自転車
現地で、大変喜ばれました。

こちらには 東京恵比寿ロータリークラブさんや
長野のお寺さん 横浜レンタルさん など 協力して頂き
延べ延べで 50台を超えるバイク/電動アシストが
石巻の社会福祉協議会を通じ 手渡せました。

また 東京恵比寿ロータリークラブさんには
運搬や輸送用の車を購入する資金を提供して頂き
以後 ものすごく活躍することになる
車を調達いたしました。

この頃より インフラが改善されない地域での
お風呂と言う問題が出てきます。
そこで 登場するのが「暖助・だんすけ」です。


親方の快い協力によって 各地に提供されます。
被災地でも 気持ちの良いお風呂生活が再開!
また 4月中ごろより 各地での炊き出しを
炊き出しのスペシャリスト 千吉良チーム
「からっ風 赤城っ子」が助けてくれます。

これは 東京恵比寿のメンバーさん主体での
荻浜中学での炊き出しの様子です。
東京のレストランの方のお手伝い


余りの手際の良さに 何も出来ず
ただ 呆然と見ていたのを
覚えています。



ママ’ズ ハートさんとの
出逢いもあったり しましたね
◆ お 知 ら せ ◆
いつも 有難うございます
本年(平成23年)のお店の営業は
12月30日(金)午後6時 まで
来年(平成24年)の営業開始は
1月5日(木)午前10時 より
とさせて頂きます。
ハミングバードスポルテ
東日本大震災 〜支援を振り返って 5
河崎氏が各地の避難所や集会所を回るうちに
牡鹿半島内 十八成浜 区長さんより
復興祭 というか 夏祭りを開催するべきか
否か 相談を受けました…
まだまだ 被災地には自粛するムードも強く
コチラカラハ サポートする以外アドバイスは
出せなかったと思いますが、開催を決断され
サポートを依頼されます。
開催の数日前 ゴールデンウィーク中だったと思う。
突然の要望にもかかわらず、日本全国より
多くの 十分お祭りが楽しめるほどの
物資が集まった かとは思います。
もち米 お酒 ビール おつまみ
物資の種類がこう言うモノになってくると
なんとなく 気持ちも変わってきますね
ご協力、有難うございます。
東京の絆ジャパンの有田さんらの尽力もあり
大変気持ちの良い、楽しい催しとなった模様…
(当日、私はお店待機でしたので…)
被災地では 一番初めのお祭り だったと思います。
役所や警察、地元ラジオ局などにも
事前に通知を出しておりましたので
非常に協力的に、楽しく開催できたと思います。
屋台です!
これには感激でした。
あっという間の 完売!
女性スタッフ です。
通常は 神輿で海に入るそうです。
地元 宮城テレビさんや多くの取材陣
親玉の 河崎君です。
このお祭りも 忘れられないモノに
なったのでは ないでしょうか
あまり賛成でなかった集落の方も
当日、炊き出し品などを運ぶと
喜んで迎えてくれたそうです。
スタッフの何人かは 今も
この十八成浜に遊びに行っています。
お疲れさま。
そして ありがとう。
東日本震災 〜支援を振り返って 4

長野県からも炊き出し部隊が来てくれたり
広範囲にわたり 援助を頂きました。
自転車を始め 軽自動車や自動車などの
支援もありました。 有難うございます



テレビや新聞等の取材も多くありました。
牡鹿半島西側、個人宅を中心に
数多くの物資を運んだと思います。
と、同時に各地の民生委員さん達を軸として
現地のコミュニティー再形成を考え
石巻の社会福祉協議会とも連携を取り始めます。

その時点では 石巻市は牡鹿半島まで
公的支援が回りきっておらず、インフラ状況や
公的物資の情報を社協を通し、石巻に提供します。
お弁当をいち早く取り入れたのも 石巻市でした。

石巻市街はまだまだ 排水状況が悪く
大潮や雨が降ると 市内全体は冠水状態だったと
記憶しています。

満潮が近づくと 通れなくなる道路がまだまだ
多くありました。塩水による冠水ですので
電気等のインフラや機材などが傷んでいくのも
予想されます。。。

こんなシーンを目撃しました。
女子中学生でしょうか・・・。
学校が再開した後ですね 制服でしたから。
町の中はまだ冠水状態、まだ泥だらけです。
朝の通学時間帯、くるぶし位までの冠水状態で
自転車を漕ぐのですが 進まず 何度も
水の中に足を付くことになります。
見えない泥の中に入ってしまったようで
自転車が動けなくなり、自転車から降り
泣きながら、自転車を押していました。
1人の人間として、被災地で
一番 やるせない瞬間でした。
東日本大震災 〜支援を振り返って 3
侍浜に常設の倉庫を設置したと思います。
現地の方より、輸送に適した 軽自動車を
貰い受けたりもして、そこを拠点に
牡鹿半島内 に物資を配送します。
まだまだ 崩落や冠水などで 道路事情の
悪い中 地図を作りつつの搬送でした。
各地区の人数や構成などを把握し
それに応じて 要望する支援物資を変化
させる必要も出てきます。

この時点で考えていたのは
我々、個人単位である限り、配送できるのは
大規模な避難所よりも、
個人宅で被災している方中心にするコト。
また、親戚などが被災地に居ない場合等も考え
水道、電気などのインフラの状態を
出来るだけ把握し、お知らせするコト。

夜中に 河崎氏を半島内を周回させ
電気の通電具合を調べたり、お願いしていました。

少しづつ 日数が経ち始め 食品も
生ものが増え始めます。
クール宅急便の再開が待ち遠しい日々でした。

多くのお手伝いの方も参加して頂き
そうですね 正確な記憶はすっ飛んでいますが
延べで 100人以上の人が
こちらと被災地を往復したでしょうか。

牡鹿半島内 西側を中心に各地区を回るようにします。

それと同時に、ものすごい量の物資が
毎日来ます。 しばらくの間は 弊社の荷物だけで
専用のヤマト便が有る位、 段々慣れて行きますが…

有難いにはありがたい には有難いのですが
個人単位で 物資支援をし続けても限界があるとも
考え始めます。
支援してくれる皆様の負担もある訳ですし…。

勿論、被災者の方々には喜ばれる訳ですが
被災者の方を支援漬けにする訳にも行かない…
津波地域の分断されたコミュニティーを再形成するのに
なにか 方法は無いのだろうかと模索を始めます。
メリークリスマス
東日本大震災 〜支援を振り返って 2

正確な記憶はありませんが
残っている過去の記事を見ていると
4月半ばまでに 10~15回程度 週2ペースで
現地へ行っていたと思います。

「ありのまま舎」、隣の児童施設「天使園」
そして 牧島かれんさん の手引きで
松島の県会議員さんのトコロへ 数トンの
お米も配送しました。

彼女はまだ混乱している 3月の月末に
女性にもかかわらず 夜行バスに乗り
自力で現地入りしている上、我々の為に
おにぎりも用意してくれていました。
ありがとう、 かれんさん。
http://activity.makishimakaren.com/?month=201103

かれんさんは今も 「菜の花を植えよう」
イベントなど 被災地の為の活動を続けています。
数度目かの現地来訪時に 石巻市街まで
足を伸ばします。 3月の月末だったと思います。
牡鹿半島に行ったのは 3/26だったと思います。

石巻市街の被害もすごかったですが
牡鹿半島のそれは また別な重々しさ でした。

また その来訪を機に、今考えるとちょっと
やり過ぎの感は無くもないですが 河崎氏に
牡鹿半島の常駐を依頼します。
彼は 数週間 牡鹿半島付近での路上生活を
することになります。

彼は現地で、被災者の方とコミュニケーションを
取りながら、牡鹿半島内の通行可能な道路を
調べたり、牡鹿半島に住んでいない牡鹿半島通に
なっていく訳です。。。

その頃には 石巻市街に住む 弊社のお客様で
民生委員をされている方とも連絡が取れ
お手伝いをして頂きました。
少しずつですが クロネコ宅急便も動き始めたので
コチラで荷物を集め、品目ごとに詰め直し
その方の自宅を搬送拠点として出荷させて貰い
それを 現地の河崎氏が宅配する… と言う形を
取っていました。

一緒に行った 京都の蛸長さん の呼びかけで
直ぐに 現地でのお寿司の「炊き出し」を企画することに
なります。 確か 4/5 か 4/6 だったと思います。
大阪から 鮮魚問屋の社長さんと
大阪ニュ―オータニ内の乾山の店長 さんが
駆けつけてくれました。
本当にご苦労様でした。
そして 有難うございました。

すべての準備を事前にされており、
現地では 私も河崎氏も見ているだけだったと…

店長さんです。

まだ少し寒さの残る 小さな4月の宴
だったと思います。
この日のコトは 一生忘れられません。

始めのうちは パラパラ だったお客様も
最後にはスゴイ人だかりになり
侍浜の集落以外からも沢山の方が
いらっしゃったかと思います。

この時点では ここら辺が活動の終わり…
と感じていたのですが、ここ、このさむらい浜から
今日までの活動が続く とは全く考えていませんでした。
肘使い が クラブ使い の 突破口
スウィングのコツを一言で、 の質問に
あの ジャンボ尾崎 は
「肘の使い方だね。」と即答
それに対して
多くのゴルファーの肘の使い方は
多分 この言葉から 始まっているのだと
思う。
「わきを締めろ」
正しい意味では良いことなんだけど
アマチュアは勝手な解釈から
脇→→→→脇の下
になってしまっている
脇をしめろ
の本当の意味は
常時 腕を体の脇…
体側に置いておけ
と言う意味で
肘を曲げる場合でも
体側をまたぐように
肘は外 手は中
(格闘技のポーズかな)
の状態を指すので
体の脇に腕を置いたまま
肘を曲げてしまうと
ゴルフは両手が同じようなところを
握っている制約があるので
その反対の腕の脇は
がら空き
になってしまう。
特に ゴルフスウィングは
左腕 左肩を積極的に
使うことがなぜか崇拝されている。
経験が豊富で スコア自慢の人の
上から目線 アドバイスは
決まって
「右手がイタズラしたな」
である。
右のわき『の下』を締め
左腕 左肩でクラブを動かせば
右ひじの位置は殆ど動かない
体が捩じられたことで
すこし移動するだけで
左肘の移動量・運動量に比べると
四分の一
も動いていないのだから
動いていないモノを
ダウンで動かしたら
ミスになるわな…
じゃぁ なんで 右利きの人が
力の強い右を使わない 右打ちにするんだ?
右利きのゴルファーは
左打ちがゴルフ上達の近道
とは 聞いたことないぞ…
クランチ…腕立て伏せ
みたいな使い方を推奨しているんだけれど
やっぱり 腕を使って
クラブを
どのように動かしたいか
によって
その理解度によって
大きく異なってしまうと思う
基本的には クラブを横に
スライドさせる
その 横 と言うのも
前傾姿勢&向きの変更
に対する横なので
いつ
によって 横に
上も下も含まれてしまう
のを忘れずに。
それに対して 右ひじを下に向けて
曲げていくゴルファーの場合
腕さばきを使って
ヘッドで円を描く
もしくは
シャフト(クラブ)を捩じる
ことが主目的なのだとおもう
腕は概ね 左右対称に動く ので
テークアウェイで
肘を下に向けてしまった場合
インパクト~フォロー で
今度は左肘が自分を向いてしまう…
すると 左肘がロックしてしまい
それを支点にヘッドターンするのだと
思うけれど
これでは 筋力の弱い左肘は
必ず 壊してしまう
また 左肘が自分を向いてしまうと
その加圧は
下から上に向かって
左肩にも掛かるので
それを逃がす為
体を開く…ひねってしまう上
インパクトまでは
理想的には 左サイドの方が
低い筈のダウンスウィングが
アップスウィングになってしまう
左サイドが上向きで
体は開く けれど 腕やクラブは残す
クラブは下げるけど
自分は上向き
気持は左体重にしたいけど
これでは 必ず 体は右に乗ったまま
肘も壊すし
首にも負担が掛かるし
右腰は潰れたまま
体が反った状態…
新種の拷問みたいだ・・・
東日本大震災 〜支援を振り返って 1
写真の日付を元に振り返ってみようと思います。
出だしは、地元三崎の港からです船での
支援送付に賛同して、皆さんに物資を呼びかけたのが
始まりだったような気がします。
想像をはるかに超える量の物資が集まってしまったり
その船の出航とタイミングが合わず、自分で
持って行くことを決めます。

首都圏でも足りなくなっていたりしていた
ガソリン等燃料が大量に手に入るコト と
自分がそれを取り扱う免許を持っていることから
燃料を中心に物資を輸送することにします。

携行缶も随分集めました。
ちゃんと、私、お借りした分、お返ししたでしょうか…
そうでない場合、ご連絡ください。046-804-1480
搬送先を探します。
道路事情などから、あまり奥までは
入り込めそうにありません。
また、ガソリンなどの燃料によって
出来るだけ困っている所に、 と思いました。

結果、長く続くであろう停電によって
筋ジストロフィーなどで呼吸器の補助に
燃料が必要だと判断し、「ありのまま舎」に
コンタクトを取りました。

ガソリンスタンド事情などから考え
ハイブリッド車を持っているお客様に
車の貸し出しをお願いし、長い時間お借りしました。
お名前は控えますが 有難うございます。

延べ延べでは 相当な量の物資が
お店に届いたと思います。
毎日、毎日 お手伝いの人が来て頂いていたような
気がしています。

食料品 水 ティッシュ ガスコンロ・・・

弊社のお客様を中心に、日本全国から
本当にスゴイ量の支援物資が届きました。
お返しするコトは出来ませんが
この場を借りて、御礼申し上げます。
後の W支援等も含め、皆様の支えで
少々ではありますが、被災地の復興の
手助けになったのでは と思っております。
誠にありがとうございました。
野澤 亨



その頃はまだ 寒く 現地では雪、という話も
ありましたので スタッドレスタイヤやキャリアー
みたいなモノも用意しました。

関係者の手配で、緊急車両の登録も出来
いざ 仙台「ありのまま舎」へ出発です。

始めの数度は、東北自動車道路も緊急車両のみの
通行でした。路面も悪く、ガソリンを積んでいるコトで
結構冷や冷やしたような記憶があります。

ありのまま舎 です。
よし君は元気でしょうか…
いつか 一度 遊びに行きますね。

その時点で、支援活動がどうなっていくのか
全然考えていませんでしたが
徳島より 河崎氏が手伝いに来てくれました。
彼も、私と同じく ほぼ4~5カ月 お店を休み
活動してくれた訳ですから、ものすごく
有難かったのは確かですが、振り返ると
非常に申し訳なかったとも思います。

【過去ログ】長さもロフトの一部
多くのゴルファーは
長さは スピードの源
と考えるだろう
長さが長くなる
*番手によって とか
クラブの長尺化 によって とか
→スピードの増加
→破壊力の増加
→距離の増加
まったくの間違いで そう信じている限り
ハミングバードのブログやHPを
見ても 参考になる部分は一切ないだろう
冷静に考えれば
一般的 クラブ構造で
長くなると
その分
ヘッドは軽くなる
で あるから
ボールを移動させる源の
破壊力は 大きく変化しない
長さは それ相応の入射角度を作り
それは いつも ロフトと相関関係にある
アプローチで考えて貰いたい
同じ 地面に対し
★55度の状態でインパクトを迎える
★ヘッドスピードは同じ
であったとしても
ヘッドが地面と平行に移動してくるのと
地面に対し45度の角度で入射してくるのと
まったく 同じ弾道 同じスピン
同じ距離になるだろうか・・・
答えは NO だ
それでは もう一つ
同じ入射角度が45度でも
★グリップエンドを支点に振り子に動く
★クラブごと45度にスライドしてくる
のでは 同じ弾道 同じスピン
同じ距離になるだろうか…
これも 答えは NO だ
多くのゴルファーは
ショットの基本であるアプローチが酷い
グリップエンド を支点にはしていないが
腕や肩で作る 縦の円 支点運動で
ヘッドを振っているから
シャフトが振られる分
ロフトも常時変化…
→正しく言えば ボールに対する
ロフト効果が常時変化している
ロフトとは
突き詰めていけば
シャフトと地面の関係なので
振り子の動きでは
シャフトと地面の関係が
常時変化してしまう。
その上 肩のターンや
グリップエンドの支点運動では
ヘッドの高さ変化も激しい
特に 上がり軌道は
下がり軌道よりも急激になり易く
上がり軌道では 打撃面も上を
向いてしまうので 進行方向に
歯 リーディングエッジが出てしまう。
下がり軌道で
インパクトに向かえば ダフリ
上がり軌道で
インパクトに向かえば トップ
ドンピシャでなければ
ナイスショットにならず
その上 そのドンピシャは
地面に対してのロフト効果よりも
大きな角度のロフト効果になるので
エネルギーが高さやスピンに化けてしまい
想定の距離よりも 短い距離になってしまう。
最下点で打つのには
スピードが無いと 失敗してしまうので
危険度が非常に高いし
距離感とは相反してしまったりするので
非常に会得し辛い上に ゴールがない!
かたや 脚を使った体のターン
そして 利き肘の押す動きでは
傾きに応じて だが
クラブは斜め下に押し続ける
が 体の向きの変更と言う
緩い上下運動で動いていくので
クラブは下がり軌道にイメージでも
体の向きに応じて 上がり軌道になるので
上下の動きが相殺され
より長い より高さ変化の少ない
インパクト フォローになる
上に 姿勢としての ロフト変化が
少ないので トップのミスが存在しない
多少の 薄目 厚目 の当たりにも
ロフト効果の変化は少ないので
安定した当たり 距離になり易く
加減さえ掴めれば 繰り返し易い
と メリットしか存在しない
単に メリット と デメリット
を比較しているに過ぎない
にも かかわらず
クラブの構造や機能を優先して
考えず 体の動き
目に見える動きのサル真似ばかり
追い求めてしまうので
振り子の動きから脱することが出来ない
アプローチ とは
勿論 打つコトそのものの成功はあるが
その距離を打つコト
が最優先で ある筈
とすれば 決まった 決めたロフトで
インパクトしなければ 意味がないし
毎回 違うロフト や入射角度では
目隠しで 番手を選んでいるのと同じで
練習を幾ら積んでも 距離感は
自分のモノになり辛い
ここが ショットの肝
20年ゴルフをしても
30年ゴルフをしても
ある一定の壁を越えられないのは
ここが原因。
クラブは そのロフト角度
目標とする距離に応じたロフト角度
・・・それに応じて長さ
=入射角度が設定され
その配分により
打撃エネルギーを
推進力と打ち出し角度とスピン
に自動的に割り振るように 出来ている。
長さ、そして それによる入射角度
それを 含めた
ロフト の概念 を
しっかり 理解しないと
ショットの意味はないし
そこが 自分で担ぐ として
キャディーバッグという
数本〜十数本入る
入れ物を持っている意義 であり
番手を選択する意味 でもあるので
そこを おろそかにしてしまうと
シャフトがなんたら とか
ヘッドがなんたら
反発係数 とか ボールが何 なんて
まったくの無意味になってしまう…
当たる確率もわざと下げ
ミスする確率もわざと上げ
打ってみなければ 距離も方向も
それらすべての確率も
全く分からない上に
ゴールがなく 身に付く可能性も少ない
その打撃理論に 無駄な時間と練習量
を費やしただけに留まらず
体も傷めてしまうのだから
今日をもって しっかり ロフトという
一番重要な エネルギー自動配分器
一番のオートマチズムを理解して欲しい
それが 重量の正しい使い方 であり
ゴルフクラブの使い方で
それが 理解出来れば スウィング という
存在しないモノに 悩まされることも終わる
南相馬市 よりお手紙
スウィングプレーンに乗せるモノ?
昨日の続きになってしまうが
悶絶を繰り返してしまう人と割とその症状が
軽く、すんなり悶絶しなくなってしまう人
との 一番の大きな違いは
やはり「肘の使い方」になると思う。
テークバック時に 右にハンドルを切るように
利き肘である右肘を、下に向けて曲げる
俗に言う「畳む」ような肘の使い方をしてしまう
人は、悶絶の度合いも強く、時期も長くなる。
スウィングプレーン上にクラブ、ヘッドを乗せて
仕舞う方法であって、どちらが先かは分からないが
シャフトを撓らせ、意図的にクラブを捩じる方法で
軽いヘッド、硬いシャフトを使うのに適している方法
と言える訳で、その手のクラブを長く使って来たり
その手のクラブでスウィングを憶えると自動的に
その使い方を憶えてしまう。
肘が開けるコトは、クラブを寝かさない ように
なるだけでなく、この両肘の動きが 体を回せる
向きを変えられるようになる第一歩。
「脚を使って体を回せれば」 それに越したことは
ないけれど、その肘さばきを使って体を回す
もしくは 体の周りを促す と言う方法も
決して否定しないし、もしかすると クラブ使いを
覚えていく上では重要なのかも知れない。
自分の頭の中でイメージして貰いたいのは
前傾し、向きを変えるコトによって起こる
自分の周りに出来る 斜めのプレーン(面)
これにそって 肘が動けるようになると
概ね 重いヘッド・柔らかいシャフトのクラブを
使うのに、大きな苦労をしないようになるだろうし
ヘッドの重さをボールにぶつけられるようになるので
スンバらしく飛ぶか、どうかは個々の事例によって
異なるとは思うが、距離に苦労することも無くなると思う。
肘を横に張る、肘鉄のような動きが
体を向きの変更を促進する。
体の正面では 単純なる左右の刷毛塗
それ以上の距離を打つため、助走を増やす・・・
その為に体を回す と考えて欲しい。
実際のスウィングの際は 体の正面での
その動きは まだまだ 右を向いているうちに行うので
方向的には シャンク方向に対し
刷毛塗をする意識を持つと 結果として
正面での刷毛塗になる。
始めから 正面で行おうとすると
左に向けての刷毛塗になってしまうよ。
前傾の無い姿勢での
拳よりもヘッドの高い 刷毛塗を徐々に大きくし
体の向きを変える 素振り
それを繰り返すことをお薦めします。
サンプル
スウィングプレーン考察
ここ 十年位のゴルフ用語の流行
スウィングプレーン と言うのがあります。
スウィングプレーンというと なんとなく
それに沿って クラブを動かすんだ
という 大変重大な解釈のミスが見受けられます。
スウイングプレーンと言うのは
言葉 そのモノが誤解を生みやすいモノで
あるけれど とりあえずそれは棚に上げ
スウィングと言う 動作の舞台 というか
活動フィールド だと思う必要があると思う。
で、あって そのフィールドに沿って
クラブを動かす必要もないし、逆に
そのフィールドをなぞるように クラブを動かせば
先端に重量があって 偏重した形のヘッドの付いた
クラブによって 望んでいるそのフィールドは
予定外の形状 角度に変わってしまう。
そのフィールドは、脚を使った体の向きの変更と
動作中、維持される前傾姿勢によって創られる。
体の部位で言うと、概ね 拳の部分は
そこをなぞることになるとは思うが
それも厳密に常時、そのフィールド面に
沿って動いている とは言い切れない。

クラブは その面に沿って 動くことは
殆どない。 逆に その面に突き立っている
ろうそくのようなイメージを持った方が良く
拳が 概ね そのフィールドの上に居られるように
クラブの形や重さが作る 不可抗力やベクトルを
考えていく必要がある。
今さらながら、クラブの形状と言うのは
特にクラブヘッドの形状と言うのは良く出来ていて
その フィールドを維持するのに コレしかない!
と言う形をしており、理解が深まってくるほど
スウィングと言うのは動作 ではなく 必然に近い
クラブの作る不可抗力によって
否が応でもしなければならない動作 何だというコトが
理解出来てくるのだが…
そして それを理解して 体感していくのには
上の地球儀であるように 外から見た 宇宙から見た
地球のイメージでスウィングをするのではなく
地球そのものになって 地球の中側から
ゴルフクラブを持つ本人になったイメージを
しっかり持って貰いたいと思う。
多くの人が 例えて言うのならば
ラジコンカーを動かすイメージに近く
その車を動かすドライバーの感覚になっていない
と思うのだ。…説明難しいけれど…
実際にドライバーになると テクニックよりも
感覚の方が重要な部分が多い筈で
ラジコンを動かしていると あくまでもテクに
頼ることになってしまう。
クラブ扱い とは 極端に言えば
クラブをずっと動かさない ことであって
全てのゴルフ用語が クラブをどう動かすか
というコトを原点にしているように思える。
結果として 動かさないようにするには
どう動かすか という 本当に禅問答のような
話だけれど それが 冒頭のスウィングプレーンを
維持し 活動のフィールドを安定させることに
つながっていくのだと思うけれど…
ちょっと 抽象的過ぎたかな…
□ W 支 援 □
これまた 久し振りの記事になってしまい…
お詫び申し上げます。
実は ブログ記事編集中、事故を起こしちゃいまして
カテゴリー分類 東日本大震災、災害支援を
一括削除をしてしまい・・・ 誠にすいません。
(写真は残っていますので 年末に一括して掲載します。)
W支援は今も継続して、細々ではありますが
行っております。
【お問合せ先】
先月には 石巻社会福祉協議会を通しまして
仮説住宅の 集会所100か所に壁時計を提供
させて頂きました。
ちょっと、私 野澤 多忙になってしまった為
支援活動、サボり気味で心苦しいんですが…
引き続き、W支援へのお願いをしております。
現在は、
○石巻社会福祉協議会が運営する福祉施設
を通じた学校への「ぞうきん」の提供
みどり園ホームページ
石巻社協さんが運営する「みどり園」で
雑巾を作っています。それを、
ひと月かふた月に1度、50枚〜100枚程購入し、
石巻市内の小中学校に配ることを考えています。
W支援の支援金を、その雑巾の購入費に当て
させていただく予定です
ちなみに雑巾は、一枚50円です
よろしくお願い致します。
現在 お米のお届けも考えております。
ヘッドとグリップの上下は逆転しない
お客様から 「バンカーショット」のコツ
みたいなモノを質問されました。。。
それに関連して話をしましょう。
ゴルフクラブの一番低いところは
ヒールの角の部分
ココさえ ボールの真下 と言う意味ではなく
ボールよりも低いところに入れば
バンカーショットはそんなに難しくない

その上で、多分、多くのゴルファーが勘違い している
部分について 言及してみよう。
ゴルフのスウィングは 一見すると
アドレス時は ヘッドが下、グリップが上
にあるように感じる、見える。
そして、トップになると それが逆転し
ダウンでまた 逆転〜 フォローでまた逆転
数度 ヘッドと上下の逆転が繰り返され
スウィングを構成していると勘違いしている。
これも昔の記事で書いたことだけれど

こうやって、クラブを持ってみると
腕の延長線上よりも、クラブの方が高い位置にある
それが 前傾すると

こうなるだけで、実はこの写真は同じものを切り抜いて
傾き(前傾)を付けただけなのである
だから、例えば 前傾が無くて 直立した状態で
素振りをした場合、少ししかヘッドの上下動はなく
拳よりも少々高い位置を クラブヘッドは動くだけで
この画像の 10秒あたりにある素振りにならないと
前傾して、体の向きを変えている意味が
無くなってしまうし、直立状態で あのスウィングで
出来るはずの円弧が出来てしまうと 前傾も
体の向きの変更も実際のスウィングでは飾り物
であると宣言しているのと同じになってしまう。
だから バンカーショットに限らないが
常時、ヘッドの方が拳よりも上に存在する感覚
もしくは観念は ショットの基本とも言える。
ここは このところずっと言ってきている
スウィングの円弧や高さの部分と共有の部分で
実は大変重要な部分であったりしている。
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