その当時であれば ちょっと不謹慎だったのですが
今だと 言える いくつかのエピソードや悪戯を
ご紹介いたします…

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日付は覚えていません。
早稲田大学の教授の紹介で学生さん達と
炊き出しをした時のコトです。

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当日は雨でした。
いつもの イリニ水産さんの干物をもって
ゲリラ炊き出しに行こうと思っていたが
あいにくの雨。

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いつもの軽トラックにBBQ台を乗せ
車の上で炊き出しをしました。

トラックの荷台が火焼け するのを恐れ
段ボールを引いていますが
炊き出し中 引火! 
危なかったぁ・・・

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また その時 車の鍵を持って
帰ってしまい 独りが立ち往生
現地でコーヒーをご馳走になっていたそうで…

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始めのコロ 路上生活者であった河崎氏の
初めての滞在地は 女川原発の駐車場であったり…

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幾つかのテレビ取材を テレビに出るのを極端に
嫌う 某誰かが逃げ回っていたり。。。

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横浜ナンバーに乗った 徳島居住の妖しい男は
かなりの頻度で職務質問を受けていたとか いないとか

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現地に出発する直前、車の不具合が見つかり
急遽 一台 車が減ったり…。

色んなプランやスケジュールは 殆ど
全て 打ち合わせも何もせず 私が独りで 独断で
決めていましたが、ホントに大きな問題も起こらず
スケジュール的にも段取り的にも
だいたいの事が上手く行っていたと思います。
ま、それも これも その時点で既に現地人と化していた
河崎氏の事前調査のお蔭で
彼も、私も 3日程度であれば 風呂に入らないコトは
日常となっていたような気がします。

今考えると 現地に向かった支援協力者の年齢層は
決して低くなく 当時39歳の彼が一番若年で
よく 徹夜の強硬スケジュールを続けていたと思います。

また 私はあまり睡眠を取るのが上手でなく
私が車の中で寝てしまうと 周りの人が
心配していたのを憶えています。

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ガソリン輸送も 始めのうちは緊張していました。
延べ延べでは 2500リッター以上のガソリン
800リッターの経由 750リッターの重油を運びました。

余談ですが
有る公的機関より依頼を受け、某所に私一人で
A重油を運んだんですが、運び先がものすごく重たい話の
重たい場所で 帰りはものすごく暗い気分になりました。