
長野県からも炊き出し部隊が来てくれたり
広範囲にわたり 援助を頂きました。
自転車を始め 軽自動車や自動車などの
支援もありました。 有難うございます



テレビや新聞等の取材も多くありました。
牡鹿半島西側、個人宅を中心に
数多くの物資を運んだと思います。
と、同時に各地の民生委員さん達を軸として
現地のコミュニティー再形成を考え
石巻の社会福祉協議会とも連携を取り始めます。

その時点では 石巻市は牡鹿半島まで
公的支援が回りきっておらず、インフラ状況や
公的物資の情報を社協を通し、石巻に提供します。
お弁当をいち早く取り入れたのも 石巻市でした。

石巻市街はまだまだ 排水状況が悪く
大潮や雨が降ると 市内全体は冠水状態だったと
記憶しています。

満潮が近づくと 通れなくなる道路がまだまだ
多くありました。塩水による冠水ですので
電気等のインフラや機材などが傷んでいくのも
予想されます。。。

こんなシーンを目撃しました。
女子中学生でしょうか・・・。
学校が再開した後ですね 制服でしたから。
町の中はまだ冠水状態、まだ泥だらけです。
朝の通学時間帯、くるぶし位までの冠水状態で
自転車を漕ぐのですが 進まず 何度も
水の中に足を付くことになります。
見えない泥の中に入ってしまったようで
自転車が動けなくなり、自転車から降り
泣きながら、自転車を押していました。
1人の人間として、被災地で
一番 やるせない瞬間でした。
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