ゴルフとは直接的には関係ないですが
非常に 重要な意味を持ちますので ご案内します。

通常 文字や言語の発達が「文明社会」と言われています
僕は そのことには否定的です。
ここに ひとつの例を紹介しましょう

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起源前一世紀〜後一世紀にローマの軍隊との戦いに敗れ
追い払われるまで ヨーロッパの広範囲に渡って
「ケルト人」という先住民がいました。
その中に「ドルイド」と呼ばれる賢者がいました。
人の名前ではなく 階級というか 職業です。
教師であり 治療師であり 詩人であり
集団の中の先導者でもあり 預言者でもありました。
彼らは 人に 教えを伝える時
重要な話をする時、 決して文字を使いません。
「ケルト人」には文字はあり 貨幣や商取引には
文字が使われていたですが
歴史や宗教、科学など 何らかの重要な教えを
伝達するのは 必ず 話言葉 伝聞 である


知は人間の内部に留まるように望む
あらゆる知は卑しむべき物質によってではなく
精神の中でこそ 維持されなければならない。

知を蝋や紙、(まして画面の中)などに託すことは
知を辱めることで
人の手によって 汚されるのみならず
知を殺害してしまうコトになるからだ。

その時、知は生成し続けるコトを止め、
永遠に凍りついてしまう。



現代人は 文化文明と言えば
本やインターネットのコトを指すのだろう。
しかし、書物や画面は
書いたその人の心の運動の抜け殻であり、
仮面であるとは 夢にも思わない。
文字は紙の上にこびりついたインクで有り、
物質にすぎない。

文字は言語に遠く及ばないが
その言語は行為に遠く及ばない


精神は運動であり
文字はそれを停止させ、化石にしてしまう。

人間は文字を使う事で
 自分の精神活動を停止させてしまう。
魂を死滅させてしまう。




2000年前に
まるで 現代の我々のコトを見透かしているような
言い伝えがされていたのです。
ネットや携帯などの普及によって
さも 知識や情報が溢れているように見える現代
多くの 情報の抜け殻 知識の化石に囲まれ
我々は 自分の中で物事を考え
自分の中で精神活動する
 大切な人間の営み を
忘れつつあります



現代でも文字を知らない古老が
文字の効能を頼みにする知識人よりも
余程 多くのコトを知っていて
遠い昔のコトもハッキリ覚えていて
間違いを犯さないものだ
 と本居宣長も言っております